燃料電池誕生への道【下】
苦難の末に国内での販売開始
/YSエネルギー・リサーチ 山藤泰代表

2018年06月11日

1973年から始まった東京ガスと大阪ガスによるリン酸形燃料電池(PAFC)の実証運転は成功した。だが、国内での市販化に至るにはまだ乗り越える壁があった。引き続き元大阪ガス社員の山藤泰氏(現YSエネルギー・リサーチ代表)に当時の様子を振り返ってもらった。

TARGET計画(ガスエネルギーの変換に向けた研究推進チーム)は当初の開発計画を終え、1976年に米国ガス研究機構(GRI)が引き継いだ。GRIは燃料電池の商品化に向けた検討を行い、40kWPAFCを商品化することを決めた。

79年、GRIからの要請を受け、楠田喬三氏(当時大阪ガス副社長・故人)と片岡宏文氏(当時東京ガス技術研究所長・現燃料電池開発情報センター顧問)が、燃料電池開発プロジェクトのアドバイザーに就任した。両社の熱意が評価されたのに加え、社内に燃料電池に関わる技術開発組織を持つ米国のガス事業者はほとんどなく、日本からの技術的サポートを必要としたと推察する。

82年2月、40kW機の試作機が6台作られ、そのうち2台を東京ガスと大阪ガスが日本に設置し、実証運転することとなった。当時、筆者は大阪ガスの広報部門に所属していたが、燃料電池の営業担当部門に異動となり、試作機の実証展示担当マネジャーとなった。12.5kW機の実証試験の際、報道対応に多少関わったが、燃料電池の詳細を把握できているわけではなく、技術屋ではないので無理だと主張したが、「今後燃料電池のマーケティングが重要となるから事務屋が担当するのが適切だ」と説得された。

40kW機は、熱回収もできるコージェネレーションで、発電効率40%、総合効率80%だった。大阪ガスは、堺市にあるファミリーレストラン「ロイヤルホスト石津川店」の隣接地に設置。当時、自家発電設備の系統連系は原則として認められていなかったため、40kW機は系統独立運転で、スイッチを切り替えて発電した電気をレストランに供給することになっていた。東京ガスは、熱負荷が大きい「鶴見スイミングプール」に設置した。


頻繁に起きた停止


82年春、40kW機が稼働を開始した当日に筆者は、燃料電池開発に取り組む大阪工業試験所を訪れていた。会合の最中、電話が入り、「40kW機が停止したのですぐに戻れ」とのことだった。現場に向かうと、本体から蒸気が出ていた。

想定外の停止はそれから頻発した。原因の一つは、商品開発に向けてコストダウンを図るために安い部品を使用したことだ。交換する部品が狭い空間に押し込められていたため、修理に手間がかかった。これは東京ガスでも同じだったようだ。

予期せぬ停止を繰り返しているうち、燃料電池本体の配管が目詰まりを起こした。開発したユナイテッド・テクノロジーズ(UTC)は、「停止時に行う窒素封入をマニュアル通りに行わなかったことが原因だ」と主張。日本側が費用負担するのであれば修理すると連絡してきた。

PAFCの停止時は、配管内の残ガスを排出するため、窒素を送り込む必要があった。だが実際は、頻繁に停止していたので、窒素の補充が間に合わなかったのが実情。UTCとの押し問答が続いた中、他の場所の試作機でも同様の問題が発生していることが分かり、設計に基本的な欠陥があることが判明した。

設計を見直して開発した新型機を設置したのが84年12月。東京ガスは、国際科学技術博覧会(科学万博)会場に設置した後、東京・豊島区の池袋第一インに設置。大阪ガスは、以前と同じ場所に設置した。設計変更前の従来機は、3年間で約2200時間しか稼働しなかったが、新型機は2機とも3年で1万5000時間の実績を残している。

大阪ガスは、堺市にあるファミリーレストランの隣接地に40kWPAFC実証機を設置し、実証運転を行った(1986年) (出所:『明日へ燃える 大阪ガス80年』)

開発の加速


日本のメーカーも60年代以降、PAFCの開発に着手した。日本は70年代に二度のオイルショックを経験した後、省エネルギー技術の開発を目的としたムーンライト計画を推進。その中で、発電効率が高い燃料電池の開発が重要テーマとなった。

富士電機は80年から関西電力と30kW機の共同実証試験を開始。同じころ、東芝は50kW機の開発に取り組み始めた。

こうした長年にわたる燃料電池の研究開発の末、95年に東芝が200KW機、98年に富士電機が100kW機を開発し、販売を開始した。だが、触媒の白金量を低減できなかったことなどからコストダウンが進まず、現在は富士電機のみが販売している。

その後、燃料電池自動車用に固体高分子形燃料電池(PEFC)が開発され、さらに触媒に白金を使わない高効率の固体酸化物形燃料電池(SOFC)が開発され、現在のエネファームの普及へとつながっていった。

(ガスエネルギー新聞6月11日付)

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