燃料電池誕生への道【上】
日米共同のTARGET計画
/YSエネルギー・リサーチ 山藤泰代表

2018年05月24日

家庭用燃料電池(エネファーム)の普及台数は着実に伸びているが、エネファームが誕生する前、日本での燃料電池の開発初期にはさまざまな苦労があった。都市ガス事業者の燃料電池開発にかける情熱が、現在の普及の礎になったとも言える。燃料電池開発に関わった元大阪ガス社員の山藤泰氏(現YSエネルギー・リサーチ代表)に当時の様子を2回に分けて寄稿してもらった。

家庭用燃料電池(エネファーム)の普及台数は、2017年に20万台に達した。エネファームに関して国は、20年に140万台、30年に530万台普及させることを目標としている。出力0.7kWのエネファームが530万台普及すれば、原子力発電所約4基分相当の発電設備が常時発電していることになり、安定した電源となる。

燃料電池の開発初期に関わった筆者としては、よくここまで育ってくれたという気持ちで一杯だ。同時に、50年ほど前に、膨大な資金と時間をかけて燃料電池の開発に取り組んだ日米のガス事業者による開発の熱意がなければ、現在のこうした普及状況になっていなかったかもしれないとも思っている。

燃料電池が実用目的で開発されるようになったのは1960年代。61年に航空機メーカーのユナイテッド・テクノロジーズエアクラフト(現ユナイテッド・テクノロジーズ、UTC)の一部門であるプラット&ホイットニー(P&W)が、出力500Wのリン酸型燃料電池(PAFC)を開発し、試験運転を行った。

試験結果から商品化が可能であることを確信したP&Wは、米国内のガス事業者に商品化への協力を呼び掛けた。これに呼応した27のガス事業者がコンソーシアム「TARGET」(ガスエネルギーの変換に向けた研究推進チーム)を結成。67年から9年間の予定でP&Wとともに、天然ガスを使用する燃料電池の商品化に向けた研究開発に着手した。

東京・大阪で実証

TARGET計画は、メーカーであるP&Wが年間200万ドル、ガス事業者が同4000万ドルを拠出するプロジェクトとして始まった。

これだけのガス事業者が参画した背景には、全米で進展するオール電化住宅の普及があったようだ。オール電化対抗として、ガスを使って発電できる燃料電池に期待を寄せたのだろう。

71年にP&Wは12.5kWのPAFCを開発し、実証試験を開始した。72年、東京ガスと大阪ガスが参画を申し入れ、2社は140万ドル(当時の為替レートで4億2000万円)を拠出して参加した。東京ガスと大阪ガスが加わり、TARGET計画は日米の共同開発プロジェクトとなった。

当時の大阪ガスの売上高が約1500億円だったことから、両社の経営陣にとって容易な決断ではなかったことがうかがえる。ちょうど両社とも天然ガスへの転換を進める中、将来の天然ガス市場の拡大を見据えた判断という一面もあったと推察する。

米国から32社、日本から2社、カナダから1社が参画し、実証機70台を設置。71年~73年にかけてフィールドテストを行った。

東京ガスと大阪ガスは、73年3月に12.5kW機を2台ずつ導入した。東京ガスは大宮市内(現さいたま市)のファミリーレストラン「アルピーノ」と浦和営業所に各1台設置。大阪ガスは大阪市にある同社岩崎レクレーションセンターの外庭に2台並べて設置した。大阪市は当時、まだ天然ガス供給になっていなかったため、泉北製造所からLNGを運び、ガス化して供給した。

実証機は、発電のみで熱回収はなく、電力を供給する対象の負荷変動に追従できるようになっていた。

当時のガス業界には、40%前後の高い発電効率、低騒音・低振動で、大気汚染物質の低排出量―という強い印象を残した。新しい電源としての期待は掛け値なしに高かったと言えるだろう。

若干の初期トラブルはあったものの、4台の実証機の運転はほぼ順調に進み、73年8月までの5カ月間で約3500時間の稼働実績を残した。

東京ガスは12.5kW機をファミリーレストランに設置して実証運転を行った(1973年) 写真提供:東京ガス

(ガスエネルギー新聞5月21日付)

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